技術社会システム専攻

中田 俊彦 教授Nakata Toshihiko

ソーシャルシステムデザイン講座 エネルギーサステナビリティ分野

1983年東北大学工学部機械工学科卒業、1985年東北大学大学院工学研究科修士課程修了。同年(財)電力中央研究所に入所、主査研究員。1993年東北大学から博士(工学)取得、東北大学工学部助教授。1997年から1998年まで、フルブライト研究員として米国ローレンス・リバモア国立研究所研究員。2006年から現職。自律・分散型エネルギーシステムの分析と設計研究を進めている。これまでに、電力中央研究所所長表彰(1991年)、日本燃焼学会技術賞(1993年)、米国機械学会ガスタービン部門最優秀論文賞(2000年)、日本エネルギー学会論文賞(2005年、2017年)、自動車技術会技術部門貢献賞(2015年)、日本エネルギー学会 学会賞(2020年)を受賞。

脱炭素をドライブさせる、エネルギーデザインという理論と実践。

記事のあらまし

記事のあらまし

  • 現在、世界の多くの国と地域、企業が“脱炭素”へとシフトしている。日本も例外ではない。気候変動対策が緒に就いたばかりの約30年前、スマートシティ、インダストリアル・エコロジーといったエネルギーデザインの研究にいち早く取り組んでいたのが中田教授だ。
  • 理論を実践へ。被災地の新しいまちづくりにおける持続可能なエネルギーシステム構築を支援。地域社会の背景を含み置きつつ、住民の意見に耳を傾けながら、今日的課題に即した議論へと導く。未来に向けた枠組みを共有していくのは難しい作業だ。
  • 若い世代の素朴な好奇心や直感、みずみずしい感性は、研究者としての初心にかえらせてくれる得難い息吹。自分が著した論文を通じ、世界の若き研究者と理念・理論を共有したい、やがては新しい知見と創造力で上書きしてほしいと中田教授は語る。

「無人島を見つけて、自分の旗を立てよ」研究留学を決意させた恩師のひと言。

「無人島を見つけて、自分の旗を立てよ」研究留学を決意させた恩師のひと言。

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今、世界の多くの国と地域、企業が“脱炭素”へと大きく舵を切っている。日本政府は2020年10月、「2050年までに温室効果ガスの排出量を全体としてゼロにする」と宣言、続いて12月に発表された「ガソリン車ゼロ目標(2030年代半ばから新規販売を制限)」は、少なからぬ反響をもって迎えられた。頻発する異常気象の原因の一つとされる地球温暖化。その対策は明確な数値目標と方策、行動によって推し進めるフェーズにきた。私たちは変革の渦中にいるといっても過言ではないだろう。

地球環境問題は1992年の地球サミット(環境と開発に関する国際会議)を契機に大きな進展をみせるようになった。日本では1993年に環境基本法が成立、ようやく“持続可能な発展”への道筋をつけた。地球環境保全が人類共通の課題であると共有されてはいたが、その対策は緒に就いたばかりの時期、スマートシティやインダストリアル・エコロジー(産業生態学)といった次世代の社会・産業界の姿、その具現化について海外の研究者コミュニティと積極的に意見を交わしていたのが中田俊彦教授である。

少し経緯を振り返る。

「私のバックグラウンドは機械工学です。修士課程修了後、電気事業の研究機関で火力発電用エンジンの研究に携わっていました。幸いにも成果も挙がり、充実感がありましたし、若手ホープの一員として名を連ねることもありました。キャリアの見晴らしは良好でしたが、このまま歳を重ねていって、自分自身がワクワクと心躍るような仕事ができるのか、という憂慮を抱えるようになったのです」。そして転職。母校に戻り、助教授(当時)の職を得たのが32歳の時。祖父(農学部教授)、父(公社の研究者から農学部教授)と、奇しくも三代続けて大学での研究/教育を担うこととなった。

大学での研究は「自分が真に興味を持てること」に取り組もうとテーマを模索するものの、それまでの専門分野を超えて見出すことは容易なことではなかった。何も持たぬまま、原野に放たれた心持ちだった。一方で、研究の成果・知見を論文に編み、世に問う姿勢も強く求められた。もちろんこれは研究者としての使命と責務だ。「私はのんびり構えすぎていたようです」と回顧する中田教授。常日頃、何くれとなく目を掛けてくれた年長の教授から、こう諭される。――中田君、君の論文を見たよ。僕はこういうものを読みたいわけじゃない。君はまだ誰も上陸していない無人島を見つけて、自分の旗を立てなければならない。島のスケールは問わない。ただ新しい世界をつくればいい――

それから数カ月後、中田教授の姿は、アメリカ合衆国カリフォルニア州リバモアにあった。フルブライト奨学金を得て果たした研究留学。米国屈指の国立研究所で、自身の研究テーマが鍛えられることとなる。

中田 俊彦 教授

地域社会とかかわり、理論を実装していく。伝わる言葉で、伝えていくことの大切さと難しさ。

地域社会とかかわり、理論を実装していく。伝わる言葉で、伝えていくことの大切さと難しさ。

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ローレンス・リバモア国立研究所の朝は早い。季節によっては日の出前から出所し、タスクと向き合う。夕方には退所。ゆっくり家族との時間を過ごす者もいれば、夕食後、自室にこもって仕事の続きに没頭する者もいる。一人ひとりが独立した存在として、自主・自律的に振る舞い、お互いの専門性を尊重する。職位の上下に関係なく、各々の仕事に対しての敬意が払われる…中田教授にとっては新鮮な、そして居心地の良い場所であった。価値ある出会いもあった。「原子力工学が専門だった同僚研究者から『ナカタも読んだほうがいいよ』と勧められたのがMilton H. Spencer(1989)『Contemporary Economics』、現代経済学です。分野横断的に多様な知識や知見を吸収できたのは、大きな収穫であり、研究の骨組みを広げてくれるものでした」

さて、工学部におけるエネルギー分野の研究は、資源をエネルギーに変換するための技術に重きが置かれる。中田教授の取り組みは、技術はもとより、環境面と経済面で両立し得る低炭素・持続可能なエネルギー社会のシステム構築をめざすものだ。調査・分析から始まり設計・開発、プレゼンテーション(社会への提言)に至る幅広い研究には、高い視座と広い視野が必要となる。

2020年11月、中田教授の研究と実践「持続可能なエネルギーシステムの統合デザインと分析」に対し、日本エネルギー学会から学会賞が贈られた。この研究は過去から現在、未来に至る「時間軸」と、地域社会のエネルギー需給の特徴や偏りを明らかにする「空間軸」、加えて脱炭素、経済性、セキュリティ、資源、エネルギーネットワークなど様々な要素を勘案し、地域社会における持続可能なエネルギーシステムを統合最適化していこうというものだ。この理論とコンセプトは、現在、福島の東日本大震災被災地における「スーパーシティ(コンパクトシティ×スマートコミュニティ)構想」の一翼を担っている。

「2005年、日本の人口は 1899 年の統計開始以来初の自然減を記録しました。2014年には少子化や人口移動に歯止めがかからない“消滅可能性都市”が発表されたことも記憶に新しいところです。福島県沿岸部では、復興まちづくりに際して旧に復するのではなく、エネルギーの地産地消(供給地となることを含め)とデータとの融合、AIやIoTを活用したICTを運用することによって、新しい産業を興すことを目標に掲げています」と中田教授。地方消滅を解決する先進事例をめざすものだ。

被災自治体の関係者や地域住民の想いに耳を傾けながら、ビジョンを説明し、未来像を共有していくプロセスは困難も多い。利害が相反する場合はなおのことだ。中田教授は、参加者の故郷への強い想いに寄り添いながら、その場の反応を確認しながら進めていく。それぞれの地域性の背景となる歴史や風土もリサーチ済みだ、これは住民の意見を理解する助けとなる。「伝わる言葉で、伝えることの大切さ」を中田教授は説く。

中田 俊彦 教授

若い世代と論文を通じて、理念を共有。願わくは新しい知見で上書きされることを。

若い世代と論文を通じて、理念を共有。願わくは新しい知見で上書きされることを。

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「自分と同じ研究バックグラウンドを持つ人との対話と、一般の人びととのコミュニケーションは、当然のことですが全く異なります。特に私たちの分野は難しい用語が多いですから、平易な言葉で論理的紐づけをしていく必要があります。プロジェクトを進めていく上で、専門家との話し合いが物別れに終わるケースは、言葉の選択に配慮が足りなかったのでは、と私は考えています」。対話技術には定評があり、多くの自治体や団体から引く手あまたの中田教授。スケジュールアプリに余白は見当たらない。

学生や若手研究者には、論理的思考とプレゼンテーション能力、その両方の研鑽に励んでほしいと語る中田教授。もっとも後者は経験に基づく暗黙知といった傾向も強い。場数(ばかず)が、度胸と共感力を磨いてくれる。「大学で後進を育てる立場になって良かったなと思うことの一つに、若い世代の素朴な好奇心や直感、みずみずしい感性に触れる瞬間があります。私を初心にかえらせてくれる息吹です。直接指導できる学生さんは限られてしまいますが、私が著した論文を通じて、理念を共有してほしいと思います。そして新しい理論と知見で上書きされることを願っています」。中田研究室の扉は、未来を見つめる意欲と情熱に向け、いつでも開かれている。

好きな言葉は「セレンディピティ」。これは“意図的でない、思いもよらない、偶発的に起こった幸運な出来事や経験”をいうが、“自らの英知によって、ほかの人が気づかないことに目を向け、有益なことを発見する能力”という意も内包される。「30年近く前、恩師に“自分だけの島を見つけなさい”と鼓舞され、メインストリームから離れたところで新しい水脈を切り拓いてきました。エネルギー問題の捉え方もEnergy efficiency、つまり無駄をなくして効率よく使って、生活を豊かに快適にしていこう(価値の最大化)という発想が原点です。Energy saving(省エネルギー)よりは明るくポジティブなのですね(笑)。それが昨今の脱炭素の流れで、意図せずいろいろなフィールドから必要とされるようになりました。私もこの年齢になってやっと一人前になったかなと感じています」

これからはSDGs(持続可能な開発目標)の17のゴール、169のターゲットを例にとるまでもなく、社会や暮らしの様々な領域において新しい価値観が浸透していくことだろう。中田教授が引いてくれたのが、「カーボン・ディスクロージャー・プロジェクト(CDP)」だ。機関投資家が連携して、企業に対して気候変動への戦略や温室効果ガスの排出量に関する公表を求める活動であり、企業価値を測る重要指標の一つとなりつつある。「今後は真にグリーンな対策・システムづくりを成し遂げた国や組織が、先導的な役割を果たしていくことになるでしょう。地球規模で考え、地域社会のなかで行動しながら、カーボンニュートラルな世界の実現性を引き寄せたいと考えています」。中田教授が見出した“島”は、今、脱炭素の明確な方向性と地続きとなり、新しいエネルギーシステムの地平をめざしている。

My favorite things

『グランドピアノ YAMAHA C5X』

『グランドピアノ YAMAHA C5X』

持続可能な開発目標(SDGs)のなかに「5.ジェンダー平等を実現しよう」という項目があります。ジェンダーとは社会的・文化的な意味合いからみた性差をいいます。楽器とジェンダーにも深い関連があり、小学生を対象とした調査によると8割以上が「ピアノは女子向き」と認識しているようです(武知優子、2005)。私は幼稚園の頃からピアノを習っていたのですが、小学6年でやめてしまいました。周りは女子ばかりで居心地が悪かったのですね。1970年代のことですから、習い事の風景というのも今とは違ったものでした。しかし、中学ではブラスバンド部、大学では合唱部と、音楽とのかかわりが途切れることはありませんでした。自由に弾けるピアノを見つけては、鍵盤に向き合っていたのも懐かしい思い出です。

東北大学機械系同窓会の事務局長の任にあった2016年、支援金を原資に本学工学部・工学研究科に寄贈されたのが写真のグランドピアノです。キャンパス内にある青葉記念会館のロビーに置かれ、本学の学生教職員に開放されています。せっかくの文化資源を活かそうと年に3回「青葉山コンサート」を開催することになり、私も出演者に名を連ねています。週に一度は自宅で90分間しっかり指を動かします。少し練習をさぼると、指の感覚に違和感が生じて動かしにくくなりますね。アスリートもこんな感じなのでしょうか。昨年、ブリュッセル空港(ベルギー)で「空港ピアノ」を見つけて少し弾いてみましたが、通りすがりの方に「ショパンね」と声を掛けられ、うれしくなりました。音楽は世界共通の言語ですね。

研究キーワード
エネルギーシステム、脱炭素社会、地域エネルギー統計分析、システム統合設計
Design by ARATA inc.
/ Text by 高橋 美千代
/ Photographs by 池上 勇人